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英国国立ウェールズ大学 経営大学院 MBA(日本語)プログラム

プログラム・ディレクター

喜多 元宏氏

(プロフィール)

1977年、早稲田大学社会科学部を卒業後、住宅資材関連商社に入社。海外事業責任者として世界30数カ国を駆け回り、国際ビジネスを経験。91年に同社を休職。仏国立ポンゼショセ高等大学国際経営大学院(以下、ENPC−MBA)に留学し、国際MBAを取得(93年)。帰国後、欧州系企業の本部長、社長を歴任。02年から現職。現在、(財)日本経営者協会参与、英国最大の福祉団体エイジ・コンサーンの日本版NPO、エイジコサーン・ジャパン理事も務める。50歳。

ビジネスはロジックだけでは動かない、センス、勘、野性力も必要だMBAで人間力を研鑽する

 キャリアを中断することなく、2年間で海外MBAを終了できる英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム。教育の品質管理を徹底する、その姿勢は日本の専門大学院教育に風穴を開けている。喜多元宏氏は、そのプログラム・ディレクターとして最前線に立つ。

 喜多氏がMBAに着目したのは、30歳の頃。雑誌の特集記事を見て「これは凄い。どれほど難しそうなことを勉強している連中がいるのか。自分もいつかはチャレンジしてみたい」と興味を持った。社内ベンチャー的に立ち上げた海外事業の統括責任者として活躍していたものの、世界のスケールを知るにつれ視野の狭い環境に身を置く自分に我慢できなくなっていた。

 自分の経験をもっと実践的かつ世界に通用するように研ぎ澄まそうと、結局、37歳で休職。資金を借りてまでして、ENPC−MBAを留学先に選んだ。ENPCは、1747年に国王ルイ15世の勅令により創立された最初のグランゼコール(高等大学=フランス・エリート養成学校群)として知られる名門。「フランスのエリート養成学校でトップクラスの人材とのコネクションも作れ、米国、英国とは違うフランスの老練なるしたたかさや多くを学べるのでは」という期待もあった。

 実際、そのチャンスは思いもよらない展開から舞い込んできた。ENPC−MBA に入学して1カ月後のこと、学生大会で刺激に欠けるビジネススクールの在り方に問 題を提起。気が付けば、反体制派の党首として学長糾弾の最先峰にいた。学長の机を叩きながら学校改革を叫ぶという強烈な個性が逆に注目を集め、在学中に仏国立科学 研究所研究局長補佐、ENPC−MBA学長補佐として迎えられた。

 「理論、思考構築、哲学」「体系的、鳥瞰的なモノの見方」「一人で生きてゆくことの意識」「問題の中でどう自分が解決してゆくかが重要」。この期間、実に多くを学んだと振り返る。ビジネススクール修了以後も、ENPC−MBAプログラムの企画・推進役として約1年滞在。結局、約3年間をフランス・パリで過ごした。

 英国ウェールズ大学との出合いは、2001年のことだ。その年の6月まで勤務していたスイス系企業を退職したばかりの時期に、同大学MBAコースの日本語プログラムの開講を検討している企業の知人からプロジェクトへの参画を要請された。「まだ設計図も何もない」。孤軍奮闘しながら、プログラムのデザインにゼロから着手した。

 目指すは02年1月の開講。だが、スタートを半年後に控え予想もしないトラブルが続出。当初、プロジェクトへの参加を要請した企業代表者が病気で倒れた上に、ウェールズ大学からは「英国式のカリキュラムに全面的に改編するように」という指示。1カ月で作り直したものの、ウェールズ大学からの最終審査の通達に時間を要し、アカデミックにこだわる英国人との交渉にやきもきする日々が続いた。さらに、当初の運営母体の撤退もあった。急遽、移管先探しに専念。運良く、現在の運営会社と運命的に出合えた。

 いずれも、国際・国内ビジネスで培った交渉力を生かし臨機応変に対応。見事苦難を乗り切った。この時ばかりは、「ビジネスはロジックだけでは動かない、最終地点ではセンス、勘、野性力が必要だ。要はリーダーがパニックにどう対処できるかが勝負」と確信したという。

 開講後に、喜多氏がこだわったのは教育の品質の確保と進化、向上だ。「枠にとらわれない『建設的批判精神』を尊びたい」。ENPC−MBAでの経験を生かし、カリキュラム改編、教授評価などに関する学生の意見に真摯に耳を傾けた。「ビジネススクールはノウハウやスキルの修得の場でしかないのでは」という考えが少しでも窺える学生には『人間力を高める研鑽の場』でもあることを徹底して説き、意識を変える努力を続けた。ビジネススクールの主役は、参加者一人ひとりであるという持論を伝えたかったからだ。

 プログラムやカリキュラムが立派でもポリシー発信者の顔が見えなければ単なるビ ジネス講座である。ウェールズ大MBAは常にトップ自ら進取の気概を発信し続ける。

 04年11月、ウェールズ大学MBA(日本語)プログラムから遂に初の卒業生が誕生した。本国で行われた卒業式には9人が出席。開講から2年半で迎えたこの日、喜多氏の苦労はようやく報われた。プログラム草案時は誰に聞いても「うまく行かないのでは」と否定され、中には「そんなものは」と冷笑されることもあっただけにひとしお感慨深いものがあったという。

 現在、同プログラムでは大阪校、遠隔コースも含め300人近くもの受講生が学んでいる。もちろん、喜多氏にとって、これはまだ通過点にすぎない。

 「今までは流れに鎖をさすことばかりやってきた。これからはラジオの周波数を意図してチューニングするのでなく、決まっているであろう人生の波に乗ってみたい」とコメントは控えめだが、 「チャレンジ精神の塊」「あふれる野性力」という形容が似合う喜多氏だけに、ビッグウェーブを待ち望んでいるはずだ。

 「牡羊座、一白水星、午年、B型」である喜多氏。まさに「いくつになっても、発作的にやってみたいと思ったことは直ぐに行動を起こすような性分」そのもの。次に挑むターゲットは何か、今から楽しみだ。

今回のキーワード「修羅場」

 「ロジックばかりのMBAでは通用しない。センスも、野性力も欲しい」と強調する喜多氏。日本でもビジネススクールが急増しているが、「MBAホルダーが会社や肩書きや学歴に守られた道場拳法家のような内弁慶ではなく、ストリートファイトもできる強い野性力をもった人物であって欲しい。いくら道場で立派であっても社会で通用しないようでは意味がない」と手厳しい。

 切れば血が吹き出るような刺激的なビジネス経験を有する喜多氏は、会社の支援もなく独断先行で国際ビジネスを始める。5年で5カ国に事務所を作り、欧州大手企業から独占契約交渉時にも奇襲戦法でサインを取り付けた。また湾岸戦争の2カ月前にはイラクのダム、住宅建設の情報を聞き中東の建設会社に乗り込み3日間缶詰状態で受注。プロジェクト中にクルド人の襲撃をかわしながら完了させた。何度も修羅場を潜ってきただけに、激動の時代を乗り切るために何が大切なのかを明確に描いている。

 全体最適とするための意思決定ができる『洞察力』と、周囲を理解し、ポジティブな影響をもたらす『人間力』。喜多氏の真骨頂は、この2語に尽きる気がする。

(取材・文/袖山俊夫)      

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