「どこでも通用する実力、自信を身に付けなくてはいけません。日本だけでなく、 欧米でも闘えるようタフさがなければ。そういう日本人は、まだまだ少ない気がします」
日本を代表する大手航空会社でエリートコースを歩んでいた塩川氏だが、入社8年目に転機を迎えた。会社の経営再生という危機に直面。外資系大手コンサルティングファームが参画した改革プロジェクトのメンバーに加わった。
「彼我の差を感じました。彼らは皆MBAホルダーであっただけに、問題の定義、本質の読み方、ソリューションへの思考、定量的な解決メソッドなど、いずれを取っても新鮮な衝撃を受けました。このまま、日本でサラリーマン的な意識と発想に甘んじていてはいけない。国際的なビジネスマンにならなければと痛感しました。そのための切り札がMBAだったのです」
国際的なビジネスシーンで通用するゼネラルマネジャーになりたい、と思い描いた塩川氏が選択した留学先は米国ダートマス大学タック経営管理大学院であった。ニューハンプシャーの魅力的な街、ハノーバーにある小さなビジネススクールだが、MBAプログラム100年の歴史を持つという伝統校だ。スモールコミュニティーに集うのは精鋭ばかり。否応なしに密度の高いコミュニケーションへと引き込まれていった。
「米国人学生はハーバード、スタンフォードなんて関係ない。こちらの方が上だという気概を持つ優秀な連中ばかり。思考力、メンタルの強さも抜きん出ていました。問題を解決することにも決して妥協しません。あくなく追求する精神の強靭さがありました。あれは凄い」
一方、インド人や中国人留学生は、いずれも頑固に自己主張を崩さない。グループディスカッションでも人の意見に耳を傾ける様子もない。さまざまな人種の特徴を感じながら、塩川氏は相手を説得するための能力を2年間徹底的にもまれることになる。
「我々日本人は問題を分析していても、ある程度で妥協しがちです。でも、それでは通用しません。MBAでの経験がその後、ビジネスにおける交渉力として生きてきました。世界のどのビジネスシーンで、誰を相手にしても堂々と交渉できるタフネゴシエーターとしての自信を身に付けることができたのも、そのおかげです」
タフなビジネスプロフェッショナル。ポストMBAの塩川氏のキャリアは、この言葉に尽きる。
グローバルなフレーバー、エクセレント・カンパニーならではのエッセンスを学びたいと米系の大手通信会社の子会社で付加価値通信網の経営企画・事業戦略を担うポストに就任。外資戦略系総合広告代理店では、インターネットにいち早く着目。ワン・ツー・ワン・マーケティング、インタラクティブ・マーケティングを展開する子会社を自ら立ち上げ、3年目には約束通り黒字化を実現した。
「ネットの可能性を啓蒙するエバンジェストとしての役割を演じていました。米国のIT業界のトップが結集し、自由にディスカッションする特別な会議にも参加するなど最高の興奮、刺激に満ちた日々でしたね。クリスタルボールなんて要らない、自分たちの未来は自分で作るというIT業界のリーダー達の姿勢に強い影響を受けました」
ネットビジネスの可能性を追求する世界へと進むのも自然な流れであったといえる。
2002年、塩川氏は顧客とのコンタクセンターのアウトソーシングサービスを手掛けるトランスコスモスに入社。ネット・IT系関連会社の経営管理の仕事に携わり、常時15社程度のマネジメントをリードしているという。
「事業の立ち上げ、リストラもしなければいけません。海外進出のプロジェクト遂行やM&A案件の窓口としての機能も仕事の1つです」
まさに、今までの経験すべてを集約するポジションといえるが、塩川氏はさらに同時平行でマルチなキャリアを展開しているというから驚く。eコマース・トランザクションのバックエンドサービスを提供するサイバーソースの代表取締役、グロービス・マネジメント・スクールの講師など数多い。
「自分なりの正解を出すための知的格闘と思考のプロセスがいかに大切かという自分の経験を、より多くの若者にも伝えていきたい」
欧米のプロフェッショナルなビジネスマンと対等に闘う能力、スキルを磨き、実践で鍛え上げてきた塩川氏。40代後半を迎えた彼は今新たなミッションを確信しているようだ。